4月期

続編ものが面白い。冴えカノ、有頂天家族

それと、月がきれい、がまあまあ。

冴えカノは、個人の恋愛の問題を創作の場面にスライドさせて解決しようという(自分の作品が好きということを、自分のことを好き、という方向にスライドさせる)、原画家と脚本家の目論見のそもそもの負け戦っぷりが前面に出はじめてきた。そりゃあ、半裸だろうが、創作へと引っ張りこんでしまったら、振り向いてはくれないだろう。原画の英梨々は、誰よりもはやく、彼女の筆が描くよりもはやく、あの二人のすがたを幻視できてしまう立場にあって、気の毒というか、自分を刺しながら描くようなものじゃないか--そのうち、最新話の超ロングショットではなく、すぐとなりでイチャイチャ始めるかもしれん笑 プロットの進行では、加藤ちゃんが(意外と、というのは一期からだったと思うが)、節目節目で動いているように思える。髪はまとめていたほうが、あるいは短いころのほうが可愛いような。

石浜さんのオープニングも、例によってレイヤーの見せ方が上手で、かつ、横構図としつつ、縦の構図を印象的に例外的に使用している。

有頂天家族は、物語が面白いというわけではないがあまりに出来がいい。声優もみなうまい。

月がきれいは、言わせてもらうと、東山奈央の歌を前面に押し出すことが、ただひたすらに残念。(音楽会社の出資があってはじめて通った企画だということは分かるが。)

メイドラゴン

あまりに忙しくて記事を書けていないが、メイドラゴン第12話(小林さんとトールの出合いの話)、とても良かったと思います。絵コンテ・演出は小川太一さん。

 

 

あまり否定的なことは書いても意味がないが、「ライオン」最終回Bパートはダサすぎる。本当にダサかった。

 

新作では高橋丈夫総監督のものをまずは見た。高橋さんは回転のモチーフがお好きな気がする。

けものフレンズ第11話

日本中のアニオタが、ここ数年で一番長く感じられる一週間を過ごしている。

ラストカットのかばんちゃんを写すショット、あの子はサーバルちゃんに視線をやっているわけだが、仮想カメラの位置にいたはずのサーバルちゃんは、あのかばんちゃんの姿を見てしまったのだろうか。サーバルちゃんの視線ショットとしてあのさまを見るのはあまりに過酷すぎるし、サーバルちゃんはまだ目を開けていなかったのだとしたら、サーバルちゃんが意識を取り戻したときに最初に目にする光景はどんなものになっていまうのか、ああ、もう、どちらにしても、考えただけで泣く。

最終話は、オープニングの終わりに出てくるフレンズたちがリレーしている「ツナ」、出てくるかな。

エンディング曲は「ぼくのフレンド」というタイトルで、『けものフレンズ』(friends)の複数形ではなく単数形「フレンド」(friend)となっているが、誰から見た誰、もっと正確にいえば、サーバルちゃんとかばんちゃんのどちらから見たどちらのことを指しているのだろう。物語の展開を教わって書いたのだろうか、しっかりとした歌詞ですね。僕はまだ泣いている。

 

東地和生美術監督作品展

行ってきた。作品集も買った。付録なのか、冊子もついている。

写真撮影可能。

「凪あす」2クール目EDはキャラが乗っているものが複数カット展示してあったけれど、オーラがすごかった。

 

今週のアニメ

けものフレンズ』第9話:お姉さん声の三森さん声、素晴らしい。アライさんの追いつき具合いからシリーズの終わりが近い予感。いよいよ設定も表に出て来るし。

『メイドラゴン』第9話:運動会。アニオリ脚本だというが安定。仕事を覗きにいく場面とか、説得力がある(こちらの世界ではいい子に見えるカンナちゃんのあちらの世界の理屈も分かる)。練習中にドラゴンとしてのちからを解放してしまって失敗した…みたいな描写も挟んでも良かったような。(本番ではその力に訴えずに課題を解決する。)

3月のライオン』第21話:予告後に新番組の広告が入ったが、2クールで終わりなのか。(島田さんの記述を山場にして、桐山くんは「俺たちの戦いは」風に締めるの、まあ、ありでしょう。)

そういえば、第20話について、この作品での平坦な瞳のデザインにも触れても良かったかもしれない。「ユーフォ」や「バンドリ」など、ここ数年の深夜アニメのキャラクターデザインに見られる、瞳のなかの書き込みがこの作品にはない。宗谷の瞳の平坦さは「人間離れ」した様子を伝えるし、島田さんの瞳の反射(あの夕日)は、そういう前提からすると、あまりに特異だった。

『バンドリ』第8話:あれだけ宣伝して、まさかの、グロス。脚本も映像もひどい。曲も適度に下手に歌っているのかさえ分からん(譜面は悪いとは思わないが)。「原案」の小説家は、本業から辞めたほうがいい。

 

 

『3月のライオン』第20話

ここ3週くらい、本当に楽しんだ。将棋アニメだった。キャスト表がおじさんの名前ばかりだった笑(女性は一人くらい、ホテル従業員くらいだろう)。

天才(小学生名人)のなかの天才(奨励会)のなかの天才(3段リーグ)のなかの天才(A級順位戦)のなかの天才(タイトル戦)……くらいの幾重ものレイヤーをかいくぐった場所に鎮座しているのが宗谷名人だとして、それはオープニングのタッチの変わるカットでは、画面上の奥行きとして表されている。

OP明けの夢のなかでも、島田八段は、3段リーグを抜けられなかったにもかかわらず、それでも将棋盤のような(碁盤の目ともいうが…)田畑を耕している。彼の視線は、画面の奥行きのさきにある「なんて美しい」とため息を漏らすよう夕日に向けられている(画面左手に明かりのあるカットからのの切り返しショット)。

最終盤、彼が盤上に探すべきは、そういった奥行きの先にまで到達する妙手であったはずだ。しかし、飛車を自陣に王手で降ろされ、「宗谷名人の反撃」が始まると、青と白の印象的な場面(雪が積もってくる。逃れられない)へと移行する。目まぐるしく盤面が映し出されるが、画面に収まるのはたかだか3×3マス前後、局所的な視野ばかりで、その後やってくる竜巻のショットも、ほぼその真下から見上げるようなもので、「遠く」あるいは「奥行き」といったものを見やることができない。

臨時で解説会に出演していた桐山が探すのも、おなじような妙手であった。彼の目の前には、解説会特有の大きな将棋盤が立てられている。これは現実世界にもよくあることだが、普段の対局での盤面と違って、解説会での大きな盤面はなによりもまず、巨大な平面として立ちはだかる(解説会で棋士が手を探すときには、後ろにのけぞって、盤から身体を引き離すことがしばしば)。言い換えると、奥行きがない。(藤本棋竜が立ち去ってからのショット。あの視線では手は見つからないだろうが、しかし、アニメの画面構成としては、これで「正しい」のだと思う。)

そこから「まだこの盤面は死んだようには思えない」と巨大盤面を四方から映し出すカットが並ぶ。すると、遠近法こそ生き返るが、しかし、消失点、奥行きが暗い。つまり、「夕日」に相当するものがまだ見えない。

そして、OP明けの島田八段の視線とおなじく、画面左手の光を見やるカットからの切り返しショットから、妙手「7九角」が発見される。

おなじように、対局場の島田八段も光を見出したかと思えば、皮肉なことに、島田八段の目の前にある光/控え室に駆けつけた桐山の目の前にある光は、彼の投了を受けて、対局場に駆けつけた記者たちが宗谷名人に向けるカメラフラッシュの照り返りだった。

その光を受けるかのように、その後ようやく(しかし投了後では、致命的に遅い)、彼もまた「閃光のような活路」を知る。それがかりに対局中であれば、宗谷が言ったように、そしてOP明けの島田が夢のなかで呟いたように、「美しかったのに」という棋譜になったはずだろう。

あの質駒(しちごま)のタイミングでしか成立しない「7九角」について、将棋のあれこれを知らないと、「ほんの一瞬」であることが理解されるのか怪しいが、しかし、映像のロジックで、その光の強さは、ほんの一瞬、その発見が遅れてしまっていることなど、きっちり伝わったように思う。(「いつもん」が解説ツイートを「固定」にしてくれている笑)