『冴えない彼女の育てかた♭』第11話

冴えない彼女の育てかた』第二期、最終回。シリーズをとおして素晴らしかった。とくに、創作と恋愛の兼ね合いの問題が前面に出てからのここ数週、そして最終話Aパートまでの流れは、泣かされた(いやあ、わたしも、自分にとって「書ける」環境というか人間関係はどんなものだろうと、ふと、妄想しちゃうことがある)。

第二期は亀井幹太監督がすべての週の絵コンテを切っていたが、最終回ではついに演出も監督で、本当にお疲れさまでした。

Aパート、ショッピングモールでのやり取りには、安芸くんとおなじように、加藤ちゃんに騙されてしまった(加藤ちゃんにもあのサークルは大切だったんですね)、つまり、悶てしまった笑

坂道の場面での加藤ちゃんの台詞は、視聴者にとっては、さんざんこれまで宣伝で聞かされて、刷り込まれてきたフレーズで、むろん、安芸くんには自分の企画書の言葉であるが(親切な演出だった)、視聴者も、安芸くんと加藤ちゃんがAパートで行ってきたように、記憶を掘り起こして、反復して、さらにゲーム制作という「つぎ」(第三期、待っています)への期待に繋げていく。視聴者の3ヶ月の時間さえコントロールするような見事な構成。

あの坂道は、安芸くん/視聴者の記憶では、例のベレー帽の場所であるが、あの見上げるようなアングルは、画面の向こう側、あまりに遠い、2次元と3次元の差さえ感じてしまうような構図であったわけだが、なんですか、あの、励ますときのアングルは、実写で撮ろうと思ったら、クレーンなり、かなりの高さの足場なりが必要そうな、坂の上と下の人物の実際の高低差が、見た目上は解消されてしまうような、「あなたのメインヒロイン」という(例のすり込みの)決め台詞の直後に吹く、アニメ特有の嘘のような風が運ぶ、これもまたアニメ特有の嘘のような桜の花びら(今季では『月がきれい』第1話)は、その見た目上の高低差の解消を受けて、ほとんど真横に飛んで、カメラの回転を引き起こして、まっすぐ安芸くんに届いてしまう。こういう物理的な位置関係などを取っ払って、しかし、アニメ的な説得力が抜群の嘘は、本当に素晴らしい。いいものを見た。

エロマンガ先生の

エロマンガ先生のオープニングで、扉の開く向きに一貫性がないという話、どちらがどちらに向けて扉を(こころを)開くのかというカットの構成を見れば、建て付けの一貫性なんてどうでもいい(心理状態の演出の一貫性のほうがずっと大切)ということなんじゃないでしょうか。

4月期

続編ものが面白い。冴えカノ、有頂天家族

それと、月がきれい、がまあまあ。

冴えカノは、個人の恋愛の問題を創作の場面にスライドさせて解決しようという(自分の作品が好きということを、自分のことを好き、という方向にスライドさせる)、原画家と脚本家の目論見のそもそもの負け戦っぷりが前面に出はじめてきた。そりゃあ、半裸だろうが、創作へと引っ張りこんでしまったら、振り向いてはくれないだろう。原画の英梨々は、誰よりもはやく、彼女の筆が描くよりもはやく、あの二人のすがたを幻視できてしまう立場にあって、気の毒というか、自分を刺しながら描くようなものじゃないか--そのうち、最新話の超ロングショットではなく、すぐとなりでイチャイチャ始めるかもしれん笑 プロットの進行では、加藤ちゃんが(意外と、というのは一期からだったと思うが)、節目節目で動いているように思える。髪はまとめていたほうが、あるいは短いころのほうが可愛いような。

石浜さんのオープニングも、例によってレイヤーの見せ方が上手で、かつ、横構図としつつ、縦の構図を印象的に例外的に使用している。

有頂天家族は、物語が面白いというわけではないがあまりに出来がいい。声優もみなうまい。

月がきれいは、言わせてもらうと、東山奈央の歌を前面に押し出すことが、ただひたすらに残念。(音楽会社の出資があってはじめて通った企画だということは分かるが。)