『3月のライオン』第20話

ここ3週くらい、本当に楽しんだ。将棋アニメだった。キャスト表がおじさんの名前ばかりだった笑(女性は一人くらい、ホテル従業員くらいだろう)。

天才(小学生名人)のなかの天才(奨励会)のなかの天才(3段リーグ)のなかの天才(A級順位戦)のなかの天才(タイトル戦)……くらいの幾重ものレイヤーをかいくぐった場所に鎮座しているのが宗谷名人だとして、それはオープニングのタッチの変わるカットでは、画面上の奥行きとして表されている。

OP明けの夢のなかでも、島田八段は、3段リーグを抜けられなかったにもかかわらず、それでも将棋盤のような(碁盤の目ともいうが…)田畑を耕している。彼の視線は、画面の奥行きのさきにある「なんて美しい」とため息を漏らすよう夕日に向けられている(画面左手に明かりのあるカットからのの切り返しショット)。

最終盤、彼が盤上に探すべきは、そういった奥行きの先にまで到達する妙手であったはずだ。しかし、飛車を自陣に王手で降ろされ、「宗谷名人の反撃」が始まると、青と白の印象的な場面(雪が積もってくる。逃れられない)へと移行する。目まぐるしく盤面が映し出されるが、画面に収まるのはたかだか3×3マス前後、局所的な視野ばかりで、その後やってくる竜巻のショットも、ほぼその真下から見上げるようなもので、「遠く」あるいは「奥行き」といったものを見やることができない。

臨時で解説会に出演していた桐山が探すのも、おなじような妙手であった。彼の目の前には、解説会特有の大きな将棋盤が立てられている。これは現実世界にもよくあることだが、普段の対局での盤面と違って、解説会での大きな盤面はなによりもまず、巨大な平面として立ちはだかる(解説会で棋士が手を探すときには、後ろにのけぞって、盤から身体を引き離すことがしばしば)。言い換えると、奥行きがない。(藤本棋竜が立ち去ってからのショット。あの視線では手は見つからないだろうが、しかし、アニメの画面構成としては、これで「正しい」のだと思う。)

そこから「まだこの盤面は死んだようには思えない」と巨大盤面を四方から映し出すカットが並ぶ。すると、遠近法こそ生き返るが、しかし、消失点、奥行きが暗い。つまり、「夕日」に相当するものがまだ見えない。

そして、OP明けの島田八段の視線とおなじく、画面左手の光を見やるカットからの切り返しショットから、妙手「7九角」が発見される。

おなじように、対局場の島田八段も光を見出したかと思えば、皮肉なことに、島田八段の目の前にある光/控え室に駆けつけた桐山の目の前にある光は、彼の投了を受けて、対局場に駆けつけた記者たちが宗谷名人に向けるカメラフラッシュの照り返りだった。

その光を受けるかのように、その後ようやく(しかし投了後では、致命的に遅い)、彼もまた「閃光のような活路」を知る。それがかりに対局中であれば、宗谷が言ったように、そしてOP明けの島田が夢のなかで呟いたように、「美しかったのに」という棋譜になったはずだろう。

あの質駒(しちごま)のタイミングでしか成立しない「7九角」について、将棋のあれこれを知らないと、「ほんの一瞬」であることが理解されるのか怪しいが、しかし、映像のロジックで、その光の強さは、ほんの一瞬、その発見が遅れてしまっていることなど、きっちり伝わったように思う。(「いつもん」が解説ツイートを「固定」にしてくれている笑)