君の名は、百日紅、ここさけ、ほか

レンタルでここ最近の劇場アニメを何本か。思い出した順で。

新海誠君の名は。

すれ違い、通信メディアの時差、回転運動、人物より背景の書き込み、タイムラプス、ミュージックビデオ風の構成、など新海モチーフの昇華を見た。

アバンタイトル~オープニング~Aパートと深夜アニメかと間違うほどの(あのリッチな画面では間違えようもないが)標準的なフォーマットをとりつつ、アバンは例の事件の回避後かつ再会前という時系列で考えればかなり狭いところから始めつつ、初見ではその事実などまったく分からず(ファーストショットの彗星落下の縦構図が見事すぎてそれどころではない)、しかし、その把握しそこないは視聴を続けることをまったくさえぎらず、以下全編をとおして、バランス感覚のよい構成だった。

(蛇足ですが、「絵が描ける男の子」みたいなモチーフは、オタク趣味とまではいかなくとも、ガチ文系なわけだが、どう映ったんだろう。記憶を頼りに風景を再現しようとする場面、僕は泣けたが。)

入れ替わりが把握された瞬間にはじまる、タイムラプス(あの筆致で背景が「動く」恐ろしさ)を基調としてミュージックビデオふうの構成などは本当に見ていてワクワクする。(ひとつのバンドの曲を多用するというのは、「フリクリ」やら「ローリングガールズ」やらで見かける演出だが、あまり振るわないものだと思っていたが。)

御神体のあるほら穴での入れ替わり&タイムリープの作画は圧倒的だった。いいものを見た。

「回避」後の世界では、あぁ新海だなぁというモチーフがたくさん出て来るが(並行して走る列車、都内の集合住宅、山崎まさよしの歌詞的な「探しているよ」感)、それを1200年周期で周回する彗星の軌跡という枠組みに当てはめて、二人の再会として昇華したのは見事だった。(これまでの新海作品は、この「周回」への期待のようなものがなかったと思います。天体学モチーフでいえば、永遠に遠くへと宇宙を飛んで行ってしまう、離れてしってしまうような。)

あと、長澤まさみが声の芝居がけっこううまい。

原恵一百日紅

オムニバスふうの構成で、やや気が抜けた。作画はすごいが。

エンディングの終わりに出て来る浮世絵は、葛飾応為の本物の作品だそうだ。

長井龍雪岡田麿里心が叫びたがってるんだ。

長井っぽさというのは実はよく分からなくて(「あの花」OPや「凪あす」OP2のようなイメージなのだが)、それよりも、岡田麿里の作品として見た。

核家族が機能不全を起こしているのはいつものことで、しかもそれが「父」(というか、なりきれなくて「男」(「オトコ」?)なんだよな)に起因しているのも、うんうん、と見た笑

廃墟となったラブホテルで相手の嫌なところを大声で言って聞かせる場面など、「あの花」の神社の場面を思い起こさせるが、しかし、「自分の気持ちが伝わる」という場面を、こういう刺々しいというか、痛々しい――つまり、周囲からみると、その必死さが伝わりきらないというか、浮いて見えるというか、誰にとっても痛切ではないの――方法でしか表現できない脚本家は好きかもしれない。応援する。

声優の話をしてしまえば、雨宮天の正統ヒロイン系統の声をひさしぶりに聞いて、やっぱりきれいな声をしているなあと聞き惚れた。(アクア様系統の芝居も好きですが。)

ミュージカルに謎の説得力があるというのは、僕もそう思うのだけれど(実写映画のミュージカルはわりと好き)、これはなんででしょうね。

石浜真史ガラスの花と壊す世界

まだ種田梨沙が病気療養期間だったので、声を聞けただけで嬉しかった。

脚本は難しかったです。

最近の仕事だと、オープニング、エンディング職人であることはかわりなく、あるいは、『四月は君の嘘』1クール目の絵コンテ・演出回(しかもこの週は小島崇史一人原画だという)などとふと思い出します。

新房昭之尾石達也傷物語

ようやく第三部まで見た。これだけ制作が遅れて、先送りになって、そのあいだに東京オリンピックの開催が決まって、というのが想像される舞台だった。

原画さんの個性が比較的見て取りやすい戦闘作画は、たしかに、オリンピックを連想させるスペクタクルにはなっているのだが、しかし、物語の進展にはまったく貢献せず、というか、第三部になると、もう、進めるべき物語の残りのマス目がない。見ていてけっこう苦しかった。

個人的には第二部を推す。人間と吸血鬼(人間を捨てる、止める)のが構図ではっきり示されていた。

細田守バケモノの子

「おおかみこども」でもそうだったんだけれど、図書館デート(自習スペースじゃなくて書架のあいだ)、いいなぁ。メルヴィルの活用は、そこまでこの作品の本質には触れないと思うが、渋谷スクランブル交差点のあたりの道路をクジラがもぐっている映像など、あれは良かった。

サマーウォーズ」でも「おおかみこども」でも本作でも、細田守の家族観は、おそらく、イデオロギーとしては、いろいろ言いたいことがあってもおかしくないと思う。隙が多い。

広瀬すずも声の芝居は行ける。

なにか忘れているかもしれないが、とりあえず。