芳川泰久『「ボヴァリー夫人」をごく私的に読む』

芳川泰久『「ボヴァリー夫人」をごく私的に読む――自由間接話法とテクスト契約』(せりか書房、2015年)

読了。「ごく私的に」とは、たとえば、著者が新潮文庫版の翻訳作業に当たった直後に書かれたことを指しており、そこでの困難な経験(接続詞 et の役割、セミコロンの使用の特徴、そしてなにより自由間接話法の訳出)をもとに書かれている点を指す。また、言ってしまえば、評論文や学術論文の語法ではなく、「考えた順序」「思いついた順序」をそこまで隠すことなく書かれ、考えの展開の過程を見せてしまっている点も「私的」と形容していいかもしれない。

自由間接話法をめぐる分析と「; et」(セミコロンと接続詞)の分析を一貫したお話につなげ、その分析が「切る」かつ「つなぐ」、「継続的」かつ「点括的」といった観点に、主題論的な細部(「ほこり」と「脈拍」)の読み合わせを経てやがては回収されるという大枠もなかなか読ませるものではある。(さらにそのあいだには、蓮實重彦のボヴァリー論のある章の批評も。)

一点だけ言えば、そういった分析がではいったいなににつながるのか、という点の明示がないのはやや物足りない。いや、それが「私的」ということでもいいのではあるが。

にしても、引用されているフロベールが圧倒的であった。