ヴァイオレット・エヴァーガーデン

ヴァイオレット・エヴァーガーデン』第1話、第2話。

義手でタイプライターを使用して手紙代筆を営むという、補綴(代理性)の主題が徹底された設定は、わたし個人の専門にとってはきわめて興味深い。(自分の手ではなく、手書きではなく、自分の手紙ではなく、という三重の代理性。)

また、エンディング曲の茅原実里の歌い方は、ときに「ボカロ」と形容されるような、安定した音程でありつつ、その半面「機械的」にも聞こえかねないという歌唱演出にも聞こえなくもない。(思えば、茅原実里は、おなじ京アニ制作アニメで長門有希の声優を務めてもいたのだ。)

と思ったが、そういった、人間/機械、自身の手/代理の手といった主題系が前景化される脚本でもなく、いまいち乗り切れない。

それとはべつで気になっているが、京アニのタイムラプス演出はこれが最初だろうか。また、アニメ制作におけるタイムラプスでは、作画枚数はどうなっているのか。(枚数が膨大に必要になるのか、枚数を圧縮しているように見えるだけの絵を描いているのか。)