岡田麿里監督・PAワークス制作『さよならの朝に約束の花をかざろう』(2018年)

岡田麿里監督・PAワークス制作の『さよならの朝に約束の花をかざろう』を見た。

東地和生の背景美術、最高だぜ。

あの花(2011年)、花いろ(2011年)、そして本作と、「花」がタイトルに入る作品群を並べて考察したくなる。

まず、「花いろ」からの延長では、祖母・母・娘の「女」モノの延長として、「女」の主題が出産という場面にまで到達した点にまず驚く。ただ、性行為の場面などなく、どのような抵抗や諦念があったのかの描写もなく、いつの間にか妊娠しており男性の参与がないのはいかにも岡田脚本だと感じた。ここで「あの花」のじんたんの父親が思い出される――権威的というよりは、やや「ママ」的(尾木「ママ」のような)であった(また、「ここさけ」でも父親というより、不倫をする「オス」でしかなかった)。言ってみれば、父の不在。

吉田明彦によるキャラクター原案(個人的には『ブレイブリーデフォルト』を思い起こしつつ見ていたが)は、あの丸みやのっぺりとした表情の欠如に「幼さ」がつねに残って見えるようで、寿命の設定(寿命があたかも「ない」設定)にぴったりだった。

出産という主題は、この寿命の設定を介して、継承あるいは記憶の主題に接続される。どこか超越的な、時間を越えてしまったような、生殖も死もないような、エンディング後のイラストが印象的だ。(あの古龍は一頭しかいない。生殖はもうありえない。)

各キャラクターの経験を比較すると、故郷で恋愛を阻害されたわけでもなく(CV梶裕貴のクリム)、みずからの生んだ子から引きはなされるわけでもなく(CV茅野愛衣のレイリア)、そういった経験をすることのなかった、さらにいえば、冒頭部にあったが、親が誰であるかも知らず、子として育てられる経験さえなく、永遠の幼さ(14歳程度)、少女性といったものを保つキャラクター(CV石見舞菜香のマキア)を視点人物としているのも、こういった超越的な視点を思わせる。これがいかにも岡田麿里だと思う。(では、彼女に、セックスや死や父の描写を求めてそれが面白い作品になるのか、まだ分からない。)

絵コンテとしては、冒頭のシーンがよかった。長老の長い語りの場面、アクションのない地味な箇所かと思えば、画面がたるむどころか、あの編み物が「時間」の隠喩として語られていきしびれる――高さや奥行きを強調したショット群がならぶが、延々と消失点へ伸びていく編み物をカメラはじんわりと「つけパン」で追っていく。この構図は、例の襲撃後の場面でももちろん活用されていく。たとえば、出口のなさや拘束の隠喩として――そして、物語としては、それを切り裂くようなアクションが重ねて用いられていくことになる(旗を切る、橋を下ろす、など)。

声優的には、キャストの情報を知らないまま見たが、茅野愛衣の配役が良かった。一昔前であれば本作のヒロイン役を演じていたかもしれない声優の、あの低め音域での芝居。沢城みゆき梶裕貴久野美咲あたりはダメ絶対音感で一発だった(役柄的にも「いかにも」だった)。日笠陽子の出産の芝居もなかなか。