ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第8話

ヴァイオレットちゃん第8話。

各週ごとの心情のつながりが欠けているとか、唐突に回想週になるとか、いつの間にか代筆業が上手になっているとか、簡単にいえばナラティブとしての不備(メタ言語の不在)が目立つ本作であるが(端的にはシリーズ演出および構成の不備)、もしかすると、ヴァイオレットちゃんの脳内はこんなもんなんじゃないかな、と妄想するようになった。

第7話までの情報をつなぎ合わせれば、今週の物語の具体的な細部は措くとしても、彼女が戦闘マシーンとして戦果をあげ、数えきれないほどの命を殺め、そして、「少佐」はもう生きていないことなどほぼ分かりきっているが、それでもなお、このタイミングで映像化する。それは、ヴァイオレットちゃんのような思考回路の人物であれば、これだけの感情や情動、心情への負荷がかかってようやく、具体的な戦場の場面を思い起こすにいたる、ということを示唆してはいないだろうか。ここまでの情動性の蓄積がなければ、ヴァイオレットのような人物であれば、回想のトリガーは作動しない、というような。

んー、分からんが。

この作品の大きなレベルでの語りのおかしさ(「できの悪さ」ではなく)は、それなりに説明がつくような気がしてきた。わたしたちはもっと親切な語りを期待しているから、まとめサイトに要約されるような不満(実のところ、我々の読解力の欠如をみずから開示しているだけ)を感じるが、この作品の目論見は、そんなところにはない。いってみれば、言葉や感情をおぼえはじめた自動筆記の「人形」(人間と対比されるような)から見た物語、回想、世界、といったものを見せるシリーズ構成なのではないか。